平成23年 山行記録

八幡平 仮戸沢の思い出

 日 程  : 平成23年8月4日〜7日
 パーティ : 原田、佐藤、水野、遠藤、高橋(忠)


 

 初めての沢山行である。前月下旬に宮崎さんと出かけた守門・荒沢・未丈ヶ岳の山行で,懸垂下降を教えていただき,もう準備はできた,あとはいつものように経験豊富な人たちにただついていくだけと安易に思い,ろくに下調べをしないで行ったのが大きな間違いであった。八幡平の稜線から,少し登山道を降りて下の沢で遊ぶというイメージであったため,下へ降りるまでの間がこんなに時間がかかり,ハードなものになると思ってもいなかったのである。

 8月5日朝,PAでテントを撤収し,荷物を車に詰め込んでいる際,ザックが重いのをすっかり忘れ,不用意に持ち上げたため,腰がギクリとなった。動いてみるとそんなに痛みは無いので,皆には黙っていた。これがこの後,大変なことになろうとは夢にも思わなかった。稜線の鞍部で,沢靴に履き替えて,いよいよ藪こぎ,沢下りだ。藪もクマザサをかき分けていく程度だと思ったら,何と2mを超すような竹藪。太い竹を必死でかき分け前に進むが,踏み付けた竹に足を挟まれ,中々前に進まない,5m位離れるともう前の人が全く見えない。声を出しても,どの方向から聞こえてくるのかわからない。体力の消耗が甚だしい。30分位,藪こぎをして,沢に出る。今度は急な沢の中を下っていく。山の斜面を流れ落ちる沢の中を降りて行く,藪こぎ同様初めての体験だ。腹ばいになってくぐる倒木の場所,大きな岩がゴロゴロしている場所,段差の大きな場所などなど,難所が一杯である。途中,滝壺のようになっているところに,エビぞり状態で落ちて,起き上がれなくなり水野さんに引っ張り上げてもらったときは,一瞬溺れるかと思った。このとき,膝をぶつけてしまった。また,朝痛めた腰が,重い荷と,急な下りで痛みが激しくなってきた。下まであと1時間というあたりでは,太ももが痙攣して踏ん張れない。休憩しながらゆっくりとちょっとずつ降りていく。結局予定よりも1時間オーバーの5時間もかかってようやく到着。私が大ブレーキである。
 沢と沢の合流地点に,やっとテントが張れる場所が見つかり設営完了。テントのすぐ前が絶好の釣り場だ。イワナを釣りすぐ料理,これほど新鮮なものはない。今まで食べてきた唐揚げ,塩焼きに加え今回初めて,イワナの刺身が食べられた。全然臭みもなく,甘くてとてもおいしかった。元々,魚は余り好きではない方なのだが,今まで食べた刺身の中で一番おいしいと感じた。テントの前で,焚き火を囲みながら,イワナ料理と川のせせらぎを肴に,酒を飲み,皆と談笑。苦労して来た甲斐があった。

 8月6日は,膝の痛みと腰の痛みで帰りの登りが心配だったため,大滝まで一緒に行き,その後引き返し一人テントに残ることにした。大滝は,かなりの落差があり,ロープを使って降りていくのかと思ったら,素手で降りていく。その様子を見ていると落ちるのではないかとハラハラする。一緒に行けなくて内心良かったなと胸をなで下ろす。
 皆と別れた後,午前中はテントで,湿布薬を貼り寝て過ごす。痛みが和らいできたので,昼からテントの周りの沢を散策してみることにした。普通に歩く分には大丈夫そうだ。2時過ぎに他のメンバーが帰ってきたので,一緒にイワナ釣り。初心者の私でも結構釣れるので楽しい。夕方,一時雨が降ってきたが,粘った甲斐があり,最後に大物が釣れた。非常に嬉しかった。私が串焼きを食べてみたいといったところ,焚き火をする機会は中々無いということで,串焼きにしてくれた。じっくりと焼けるのを待つ。とてもおいしそう。ところが残念なことに,酒の飲み過ぎで,串焼きを食べた部分だけ記憶が飛んでいる。味の感想は,次回に持ち越しである。

 8月7日朝,テントを片付け,出発の準備。ザックを担いでみると,来た時と対して重さが変わってないように感じる。沢を登り切れるか不安がよぎる。やはり途中からどんどん痛みが増してきた。とにかく稜線まで登れば楽になると思い,必死に皆について行った。稜線に出てからも,痛みは増す一方。それでも何とか駐車場までたどり着いた。我ながらよく頑張ったと一安心。ところがである。すぐ近くの温泉に入ったところ,暖めたのが行けなかったのか,風呂から出たとたん,激痛で歩けなくなってしまった。暑い夏,8月いっぱい痛み止めの薬を飲んで殆ど寝たきり老人状態。9月に入ってようやくリハビリ開始。この原稿を書いている11月7日未だ,薬を飲んでリハビリしている状態だが,バス山行,キノコ山行には,参加でき,軽い山歩きまではできるようになった。一緒に行ったメンバーには迷惑をかけて,大変申し訳なかったが,辛い思い出と,楽しい思い出と,今までの登山の中で,一番記憶に残る,一生忘れない沢山行となった。