平成22年 山行記録

湯殿山南東尾根 山スキー

 日 程  : 平成22年4月16日〜18日
 パーティ : 水野 遠藤(博) 高橋 宮崎 佐藤  


 

満開の桜も散り、道中「もう一度どこかで見られるかなぁ」と思いながら山スキーに出かけた。そんな甘い思いとは程遠く、磐越道をいわきに入ったあたりから雪が、どんどん降り始め、前途多難の文字が脳裏にうかぶがもう他に転進先はない。計画の時、遠藤さんが言ってた(横向温泉から箕輪山)のコースに賛成しておけば良かったかと思う。
東北道に入っても雪の降りしきる中、ひたすら志津に向って車を走らせる。今回も現地に着いてから考えるシリーズ、かも知れない。

 その現地(旧六十里越街道分岐)は、遠藤さんのランクルプラドだから動ける状態で5人、車の中で小1時間の思案。長い付合いでも今、みんな、何を最良と考えているのか、推し量る事は出来なかった。自分がリーダーなら口を開く所だが、それは若い時の話。後で聞けば、ただ外に出るのが億劫だっただけの事だったとか。
 車の回りの除雪から始めて靴を履くのも大変な作業で、山スキーの身支度を整えて出発。たった一泊で、どうしてこんなに荷物が重いのか?冬山+山スキー+安全、だから仕方ないが転んだ時は、起きるのが又一苦労なのです。
なるべく早くベース地を見つけ、荷物を降ろしたいのが本音でも、山頂へ行く為には少しでもベースを上にあげたい思いもする。

 橋を渡って取付き、約1時間も歩かない石跳川沿いの小高い所にベーステントを設営する事になった。重いザックで山スキーの長い下りも大変と言うことで。
 身も心も軽くして、下見に出かける。ネイチャーセンターからの道(道はない)付近にスキーのトレースがあった他は何もない。
目印を付けながら、地図上のルートで上って行くと、平らな台地状の所から少し展望が開け、リフト方面が見え現在地も確認する事が出来た。それにしても雪に覆われたブナの森の姿は美しい。
ここ迄で、今日のトレースラッセルと下見を終了して滑り具合を見ながらベースへ。5人でもテントの中はゆとりで、例により高橋さんのおいしい夕食を、ごちそうになった。

 いつも思う事だが、お酒を嗜む人はいくつもの楽しみとプラスアルファがあって、いいよね。昔読んだ本にあった言葉を、ふと思い出す。「友情にも時々は栄養をあげた方がいい。それは良く会う事と良く話す事だ」と言う。自分は失格か?
天気は望みうすでも、明日を楽しみに眠る。

 18日 朝一応頑張って早起きし、出発。昨日のトレースがありがたく、台地状の所迄は、すぐに着けた。左に回り込み、沢を巻いて見事なブナの森に入って行く。雪のある今しか歩けない森でもある。十年越しで来たかった月山の中にいられる事が、ただ、ただうれしい。
高度を稼いで樹林を抜けるとガスの切れ間から山頂南側の大斜面が見え隠れする。稜線近くには、地元ガイドによる登山者パーティが姥ヶ岳方面に向う姿も見えた。
この大斜面を抜ければ山頂の筈だが、ガスが更に濃くなり雪質も悪く、下降が手間取るように思えた。
宮崎さんを始め、みんなの総意をそれとなく聞くと「ここ迄でいい」と言う意見が多く、下山する事になる。
シールを外して滑るが、重く深い雪の時自分には対応する技術がなく、不様な滑り方で、楽しむ間もなくベースに戻って来た。ベースを撤収して短時間ながら、重いザックを背負い下り、車に乗り込む頃には、下界は青空が出始めていた。
半分の確率で、こんな山もあるさ。と思う。

(おまけ)山形そば街道の名に相応しい、美味しさ大満足のそば屋さんに寄って、帰途に着いた。