平成22年 山行記録

剣岳・北方稜線

 日 程  : 平成22年8月4日〜8日
 パーティ : 宮崎、岩尾  


 

8月5日 晴れ
夏山シーズン到来で扇沢の駐車場は満車であり、下方の所に止める。朝早くから人が多い。室堂に着くと人がいっぱいだ。地獄谷へ下り、硫黄が匂う遊歩道を雷鳥沢に出る。天幕が沢山あり子供たちの歓声が響く。好い天気で周りの山々が見渡せる。
雷鳥坂の登りは暑さがこたえピッチが上がらない。別山乗越の剱御前小舎から眼前に剱が聳え立つ。この山容を見れば、三角点測量の困難さが分かるような気がする。
ひと休みし剱沢へ下る。キャンプ場に着いて見ると、剱沢小屋はその下部に建てられていた。これは以前の豪雪で倒壊したため、より安全な所に建設されたものである。ビールを求め早速祝宴をはる。

8月6日 晴れ
今日は池の平小屋までなので、天幕は帰路に備えそのままにしてゆっくりスタート。剱沢の雪渓に出てアイゼンを着ける。平蔵谷、長次郎谷を見ながらナムの滝を左手の巻き道をつたって越え、雪渓におりると真砂沢は至近である。ここからは左岸どうしに緩やかなルートであるが、部分的に不明瞭な箇所あり、手間取る。
二股の吊橋で一本とる。三の窓と小窓雪渓の谷が合わさり、ここに至るところである。今日もかんかん照りである。仙人新道はなかなかの急登であるが、高度を上げるにつれ左手に三の窓雪渓や八ッ峰の岩峰がせり上がり、疲れを癒してくれる。
チロチロの水場からベンチを過ぎると仙人峠である。右下にはおばちゃんのいる仙人池ヒュッテ、左下方に今日のねぐらの池の平小屋が見える。明日の小窓雪渓はその左にせりあがって、小窓に至る。
30分で小屋に到着。貸切のようだ。管理人とボランティアの男女数人で切り盛りしていて、感じがよい。明日、ここから旧鉱山道をつたい小窓雪渓へと出る。コーヒーを頂き(無料)五右衛門風呂に浸かり、至福の時を過ごす。勿論ビールもね。後刻客が到来、山岳写真家・高橋敬市氏で夏山用の撮影と言う。来年の岳人に載るそうだ。夕餉時に一献酌み交わす。

8月7日 晴れ‥‥上部はガスが舞う
 長丁場になるのでライトをつけ小屋をでる。鉱山道を水平にたどっていくと、小窓雪渓が左にせりあがってくる。雪渓が近づくと道はジクザクに下る。雪渓に移るところがガレ場でちょっと分かりづらい。雪渓に降り立ちアイゼンをつける。ここは小窓雪渓の上部で小窓が見える。クレバスもなく傾斜もほどほどで歩行しやすい。先方に単独行者が行く。
 ほどなく小窓到着、ハーネス着装。ガスの合間に上部を見る。稜線に出て、踏み跡をたどって左手へ潅木・草付の間を行く。ルートを探しつつ凹状の岩場を上がると、再びガスがまいてルートが不明瞭になる。上に抜けるには時間が必要だろう。残念ながら今回は予備日が取れなかった。今回はここまでにしておこうと、潔く引き返すことにする。
往路を戻り、小屋で小休止し、コーヒーをご馳走になる。真砂の上の滝は雪で完全に埋まっているのでそのまま登り、長次郎からの八ッ峰を眺めながら、剱沢小屋で乾杯。天幕で祝宴にはいる。

8月8日 晴れ
早めにスタートし、別山乗越から雷鳥沢へ。地獄谷ではガス濃度が高く、注意報の中を休まずに通り抜ける。鼻につく硫黄臭でむせるところがあった。室堂には比較的早めに着いた。
帰路は大町の“薬師の湯”で体をほぐし、上信越道〜北関東道経由で帰着した。


池の平小屋小史          (池の平小屋HPより記載)
 大正の初め、池の平山でモリブデンが発見、採鉱が始まる。小黒部谷の大窓雪渓出合いに鉱山事務所があり、大正5〜7年には本邦最大の生産(約76%)量となる。
大正5年ごろ、池の平に事務所や飯場を移転。搬出は大窓から索道で白萩川である。
大正7年小黒部鉱山は休山となる。小屋は荒廃したが、昭和3年富山営林署が従来のものを取り壊し、造林小屋を新築した。
 第二次大戦勃発でモリブデンが重視され、小黒部鉱山が軍の支援で再開され、池の平にまた事務所が作られる。その頃電源開発用の軌道(高熱隧道)が仙人谷まで貫通し、搬出ルートは池の平から仙人峠を経て阿曽原に運ばれるようになった。
戦後間もなく閉山し、その後昭和24〜25年のあいだ、魚津高校山岳部が管理を委託されたが事情により2年で終わる。朝鮮戦争が始まり昭和26年鉱山が再開されたが、二ヶ月で操業中止、廃山となる。
その後山小屋の営業が開始され、増設などではやったが、平成2年から3年にかけての台風で倒壊した。その後平成6年(1994)に新・池の平小屋が誕生した。
 池の平山には、現在でも坑道跡が数箇所あり研究グループが調査している。当時の採鉱道具などあるそうである。この険しい山地に200〜300人の鉱夫が住んでいたなど思いもよらないところである。この当時、食料を伊折(上市町)から小窓を越えて運んできている。白萩川にも鉱山道跡が見られるそうだ。
剱の開拓もこの鉱山と無縁ではない。鉱山の小屋や食料を利用して初期の剱の登山が行われている。またこれらなくして成り立たない。山岳史では埋もれた一面である。

コースタイム:
8月4日 柏ICから東関道―上信越道のPAで仮眠
  5日 麻績ICから大町―扇沢
     8:00扇沢  9:35室堂  10:10〜15雷鳥沢 
12:40〜50別山乗越  13:30剱沢キャンプ場
  6日 5:55剱沢キャンプ場  7:20〜30真砂沢ロッジ 
8:30〜40二俣つり橋  11:00〜10仙人峠  11:40池の平小屋
  7日 4:30池の平小屋  5:30小窓雪渓  6:20小窓 7:20引き返し点
  7:40〜45小窓  9:00〜20池の平小屋  9:50仙人峠 
11:15二俣  13:00真砂沢ロッジ  15:40剱沢小屋
  8日 4:25剱沢キャンプ場  5:25〜35別山乗越  6:50雷鳥沢 
7:40室堂